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大学概要

学長メッセージ

平成27年度卒業式式辞

平成28年3月10日 新潟医療福祉大学学長 山本正治

新潟医療福祉大学に学んだ皆さまは、いま旅立ちの時を迎えました。学部卒業生は4学部10学科の794名、大学院修了生は修士課程37名、博士後期課程7名です。総勢838名となります。皆さまの門出を祝福し、心から「おめでとう」と申し上げます。
保護者の方々にもお祝いを申し上げます。ここに至るまでに様々なご苦労があったと思いますが、今日の良き日を迎えたことで、苦労を乗り越えた後の達成感に満たされていることとお察しします。今日はご来賓の方々にご臨席いただいております。年度末のお忙しい中お越しいただき、御礼を申し上げます。また、本学教職員の皆さまには、今回卒業される方々の入学から卒業に至るまで何かと面倒を見ていただいたことに御礼を申し上げます。

皆さまに贈る言葉と関連して、NHKで放映中の朝の連続テレビ小説『あさが来た』のヒロイン広岡浅子を取り上げます。「明治日本を動かした女性実業家」あるいは「教育者、キリスト教徒として活躍した女傑」と世に評されている彼女は、江戸時代末期の嘉永2年(1849)、京都の豪商三井家に生まれました。17歳で大阪の両替商・広岡家に嫁ぎました。しかし結婚してまもなく明治維新が起こり、広岡家は存亡の危機に立たされます。彼女は自分がお家の再興を図らねばならないと決意するものの、夫の信五郎は商売にあまり関心がなく、また彼女自身も女性であるがゆえに幼少期に必要十分な教育を受けることが出来ていなかったため、この頃になってようやく独学で“読み書きそろばん”を習得し、やがて来るその時に向けた準備をしておりました。
そして30代後半から40代にかけて、当時のニュービジネスであった炭鉱の開発に始まり、銀行や保険会社の経営、後には日本初の女子大学開設にも関わりました。その中で銀行経営時代には、両替商時代の商売敵への融資を断った逆恨みから脇腹を刺され、出血多量で生死の境をさまよう事件も発生しました。しかし彼女はその体験からでさえ「もしもの時には保険が必要」と考え、保険会社の設立を思いついたというのですから頭が下がります。この頃の苦労を、後に彼女自身の言葉として「ダルマは“七転び八起き”したが、自分は“九転び十起き”する」とし、座右の銘を「九転十起」としたエピソードは有名です。その後、61歳の時に乳がん手術、63歳の時にキリスト教の洗礼を受け、71歳で生涯を終えました。

このような激動の人生を支えたものは一体何だったのでしょうか。私はそれが情熱であると直感しました。情熱とは「はげしく燃え立つ感情」ですが、私はこの定義に“方向性”を表す言葉を加え、「自分の決めた目標に向かう激しく燃え立つ感情」としたいと思います。
ちなみにインターネットで「広岡浅子 情熱」と検索しますと、1,500件を超えるトピックスにヒットします。その中に、浅子の人生を引き合いに情熱スイッチをオンにするためには、常日頃の心の持ち方が大事であると書かれた書籍を見つけました(水野元気著『成功は99%が情熱』、ダイヤモンド社、2013)。
私はこの中から、彼女に当てはまるものを抜き出してみました。それは「使命感」、「失敗を恐れない気持ち」、「前向きな気持ち」、「感謝の気持ち」です。
使命感は広岡家の再興を決意したことにあり、失敗を恐れない気持ちは彼女の座右の銘である「九転十起」に表れているでしょう。そして前向きな気持ちは事件に遭いながらもビジネスチャンスと捉える心の持ちようであり、感謝の気持ちは彼女自身の言葉を借りれば、「一所懸命、誠意を尽くしてやればきっと周りの人も助けてくれますよって」という言葉に表れていると思います。
これらの心の持ち方が、広岡浅子の事業に対する情熱を燃え立たせたと考えます。そしてこの情熱が事業家としてだけではなく教育家としても成功した要因と思われます。
しかし、そんな彼女であっても以後の人生においては苦悩します。「わが身の傲慢なことが解り、今までの生涯が恥ずかしい」とまで告白しています。キリスト教に入信した理由も、そんなありのままの自分を受け入れてくれる安心感があったものと思われます。「九転十起」最後の立ち上がりは、彼女が信ずる神の御手の中であったのではないでしょうか。

ここから私たちは学ぶものが沢山あります。それは、自らが進む道は自分で決めるということ。そしてどんな困難な場面に遭遇しようとも、自らが信ずる道を突き進むということです。その過程においては、信念を揺るがす事態に遭遇することもあるでしょう。しかし、そういう時にこそ、情熱を持続することが大事です。情熱の人・広岡浅子のエピソードを紹介し、贐の言葉とします。本日はご卒業、誠におめでとうございます。

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